北海道への移住を心に決めてから15年。ようやく時が来ました。
企業という安定した生活に終止符を打ち、住む土地までも変えるのはすごくエネルギーを使う。特に妻子がいればなおさらのこと。でもそれだけの価値は、この大地と自分の心の中にあることがわかった。移住の方法は色々あるけど、ここではボクの実例と心情を記し、それが移住希望者の参考になれば幸いです。
一番大変なのは一歩踏み出す勇気。進んでしまえばあとは意外にできてしまうものです。
≪宿着工前は一面のビート畑(てん菜、砂糖にする大根の一種)
ビニール紐で建物の外形を模して敷地のどこに建てるかを決めた
場所の探索どこにするか・・・・大雪山を東に越えると植生が変わり一変する景色、広大な畑作と酪農地帯。何キロもつづく直線道路。20歳のときの僕がいつか住もうと決めていたのが東北海道だった。
その中でも住む場所を決めるにあたり、理想の条件を考えられるだけ書き出した。人脈もツテも無い代わりに、しがらみも無い。どこでも選べる。これは楽しく希望に満ち溢れる作業だった。
条件としては北海道的な広大な風景であること、雪が積もること、出来れば魚のいる湖や川などの水辺が見えて、森があり、山麓で山岳展望が素晴らしく、かつ子供らの学校が割と近く、自分で野菜などの作物を作るときのためにこれらがよく育つ土地、そして国立公園が近くて北海道の中でも第一級の自然が残っている、友人やお客さんが来ても何日も観光や登山、ハイキング、釣りやカヌーなどの遊びに事欠かず、かつその町の住人の生活のために予算をつかっている行政の町、そして移住者を受け入れる体制が何かある町、しかも静かな場所・・・
これだけの条件をなるべく満たす場所を捜すため、まずは町役場を見て廻った。各町役場の対応にも差が激しく、斜里町などは受け入れ態勢や欲しい土地のことを聞くと門前払い状態だった。
しかし腹を立てたり落ち込んでもいられない。それに怪しまれない程度に役場の人たちの表情をつぶさに見れば大体町の人の雰囲気がわかるからそれだけでも収穫だ。そしてやっぱり来て欲しい、と言われる町に心が動くのは当然だった。
条件を比較し本能的な感覚も重視し、頭痛がするほど考えて僕が絞り込んだ町は斜里町(町役場の担当者の対応は最悪だったが、民間の人はとてもよかった)、弟子屈町、清里町。これらの町はどこも国土地理院発行の5万分の一の地図から自分の町の部分を抜粋、発行している。それをたしか2~300円で買って、道路を片っ端から走り、見てまわった。
実はこのときからすでに清里町の対応に心傾いていたのだった。(この地図は後に1000円!!になった。なんで紙ペラ一枚の地図が1000円なの?)
絞り込んだ3つの町の中で弟子屈の屈斜路湖沿いの湖岸は最後まで候補だったが、土地取得が厳しそう、たちこめる硫黄山の臭気も気になる。斜里町の峰浜は風景は最高だが少し高いところは水の確保が厳しい、等々・・・何日も迷い続け、自分でもよくわからなくなってきたので、前記した条件を一覧表にして点数をつけることにした。
その結果総合点で清里が一番だった。しかし場所だけは絶対に妥協しない(嫁さんを決めるのとはわけが違うのだ!?)。時間をかける、そしていいと思っても何日か経ち頭の中が整理されたらまた考える。それに紙になんでも書き出し不明なことは何でも調べる。役場の人に聞く。四季の天候、除雪、風、山などの地形により変わる日照時間、近くの火山による、噴火やガスなどによる災害や健康被害の発生率、工場や焼却場などまでの距離・・・そして清里町では町長に面会を申し入れ、話を聞き(会ってくれたのだ)将来の展望とトップの考えを察した。(恐れおおくも町長様を観察、分析した)清里にすることの決定打は図書館で調べたオホーツク海側の晴天率で(晴天率日本一は北見らしい)、年間でみると弟子屈町以南の釧路、根室地方よりずっと良く、実際、野上峠や根北峠、清里峠などを境に畑作から酪農へ産業の主流が変化することからも読み取れた。やっぱり野菜の生育にはお日さまが必要だ。雨が少ないのに湧水地が多い清里。恵みをもたらすオホーツクの流氷、秀峰斜里岳。条件の一つであった、湖や川など水辺の近くではないけど、清里町美里地区からは遠くに流氷のオホーツク海が見えたのだ。
それともう一つ、国道334号線の小清水側から清里方面を見たときに妻が言った・・「この辺ってなんか雰囲気明るいよね!」
・・この場所、この土地がいい!
キャンプで捜すことと不動産屋と仮住まいの借家話は前後するが大雪山の麓の上川町での登山、カヌー、ラフティングのガイドの仕事を終えた(会社がつぶれた)ボクは妻と一歳と三歳の子供を連れて、キャンプをしながら土地探しをした。
清里オートキャンプ場、屈斜路湖畔キャンプ場などだ。(清里のキャンプ場での利用者のアンケートに自分のやりたいことを書いて出したらすぐに手紙で「お手伝いします」という内容の返事が来たのも清里にした大きな理由だった)
一人で来たときはテント暮らしだが小さい子がいるときはバンガローがいい。夜泣きしてもぐずってもあまり気を使わずにすむし、子供も寝袋やマット、鍋やコンロに大喜び、宿に泊まるよりもずっと安い!(将来的にボクの考える宿のスタイルのヒントはこの辺にあるのかも)
まずは清里の近くに借家を捜して本格的に土地探し、開業の準備をすることにした。しかし不動産屋もアパートも無い。古い町営住宅ならなんとか借りられそうだが、浴槽や給湯ボイラー、暖房器具を自分で買わねばならないし、これには何十万円もかかる。
なかなか適当なところが見つからずに時間も無くなり焦って飛び込んだのが斜里の建設会社。なんとかそこの社員住宅を好意で貸してもらうことができ、ホッとした。この借家は古く、かなり傾いているので家族の中では“ナナメのおうち”と愛称で呼んだ。ちなみにこっちの古い住宅はほとんど傾いている。これは冬に地中深くまで凍結するためで、基礎のコンクリートの埋め込みが浅い古い家や斜里などで昔湿地だったところはなおさらだ。(斜里とはアイヌ語でサルまたはシャル・~アシの生えているところ、つまり湿地の意味)
土地は大体決めたものの、どうやって取得するか?一般的に土地は不動産屋の仲介で買うのが都会人の常識だがこっちの町には不動産屋が無い。皆、個人売買だ。数千や1万人そこそこの人口の町だと、応対してくれた役場の人が地主さんの知り合いだったり親戚の同級生といったつながりがどこかである。そこから紹介してもらうか、地元の建築士さん、農協の人、町議会議員や会社の社長さんなど有力者の方などを紹介してもらい、その人に世話をしてもらったりする。役場の方をはじめ、町民の方々はすごくやさしくて世話好きだ。(たまに例外もあるが・・・)ボクも役場の方が地主さんに直接話をつけてくれた。感激ものであった。
土地の値段を考えるどこをどのくらい買うかを決めたのち地主さんが測量会社に話を通してくれた。
売買契約書などといった物々しい書類は一切なかった。土地の値段は地主さんの言い値になるので大体の相場を役場で聞いておいて実際に言われた金額の妥当性を考えてみるとよい。うちの場合、300坪で50万円だった・・・
坪あたり約1700円、出身地のさいたまで坪100万円とか5000万円のマンションとかいっているのを聞いていると何分の一とかの計算ができなくてボーっとなる。やっぱり世の中おかしいと思う。物価をはじめ、世の中の良くないことの多くがこの日本の土地の異常な高値になにかしら関係しているのではないか?地方には就職や高校、大学の選択肢が少ないという人もいるし、ボクも人生の一時の若い時代は都会の生活体験はあったほうがいいと思うが、動物でもある人が人間として生活していくのに都会とはそれほど価値があるところなのか・・・?都会に土地や家を買って住んでいる皆さんゴメンなさい。価値観が違うのだよ、と言われればそうかもしれないけどそれにしてもこの価格差は違いすぎないか?
ちなみにここの周辺町村の土地の価格の相場は町内(学校やスーパーまで徒歩で通える範囲ぐらい)で坪約2~5万円ぐらい、うちのように小さな町の中心部から車で5分ほどかかるような場所だと坪2~5000円ぐらいだ。ずっと北海道の暮らしを目標にしてきた自分にとって、また子供にとっても生活環境のよさは土地の値段に反比例していることに気がついたのであった。