ボクの希望した土地は畑の真ん中、農地で、かつ、農業振興地域だったので地目を宅地へ変更(転用)することと、農振法という法律の適用除外申請をせねばならなかった。これは両方とも測量会社に書類作成は頼んだのだが、役場内にある農業委員会に何度か呼ばれて事情聴取を受けねばならない。つまり農地を宅地に変える場合、地主と買い手がOKでも、農家の代表である何人かの農業委員の承認を得ねばならないというシステムなのだ。農業委員の方々は「誰の土地であれ農地は守る」という使命をもっているので、転用するだけの価値があるのか、ほんとに農業や地域にマイナスとなることをしないかを判断するのである。
事情聴取は尋問そのものだ。何人かの農業委員と役場の担当者から何からなにまで、預金の残高から家族の詳細、宿の経営方針、構造、売り上げ予測、返済の方法・・・・などすべて聞かれる。プライベートな面もである。「なんでそんなことまで答えなきゃならないんだ?」・・・・これはほんとに胃に悪い、が別に悪いことをするつもりではないので耐えるしかないのであった。ちなみに転用できる土地の広さは通常150坪までで、特例は300坪が上限。後からわかったことだが委員の方々がそこまで聞くのは理由があったのだ。それは転用を許可したものの、そこに建てたホテルがすぐにつぶれたり怪しいひとの手に渡ってしまい怪しげな産廃場や迷惑な建物を作られてしまうことが他であるようなのだ。
これらの手続きに約半年かかった。あとになって本州ではもうほとんど転用は不可能らしいことも聞いて北海道はいいところだと改めて思った。でも、やっぱり移住先の土地の地目は農地はオススメしません。
見晴らしのよい丘の上の畑の真ん中に家を建てる・・誰もが夢見ることがあるとおもうが、いざ住むとなると水道(飲料水)、電気、ガス、電話、暖房用灯油などのライフラインの確保が不可欠となってくる。「北の国」からのようにスコップで掘れる深さで水が出たり、手作りの小さな風車でおこせる程度の電力でよかったり、暖房は薪ストーブだけというのなら別だが。(そのうちやってみたいとおもいます)
まず灯油、これは基本的にどこへでも配達というか入れにきてくれるので問題ない。北海道ではオール電化住宅を除き、どこの家も350リットルぐらいのタンクがあり、配達はガソリンスタンドなどでやってくれる。普通の家で一ヶ月に1~2回満タンにするぐらいで、灯油の用途はストーブだけでなく給湯機も灯油ボイラーが一般的だ。ガスも同じく燃料屋さんが定期的にプロパンガスを交換しに来てくれる。電気、これは一番近い電柱から約1キロ以内であれば北海道電力がタダで電柱を建て、電気を引いてくれる。自分の負担だったら電柱一本10万円ぐらいかかり、やってられない。うちはたまたま道路の外灯用に細い電柱が来ていたのでそれを利用することにした。電話線は通常、電柱につけるのだが、うちの場合、回線の関係で新規に専用の電柱を、一番近いちゃんとした電話線のあるところから立ててくれることになった。これもNTT持ちで無料。将来は電話線などいらなくなるだろうが・・
そして一番重要な水が問題だった。
郊外にぽつんと建つ家の場合の水はほとんどが井戸か、あるいは地域の住民でお金を出し合って水道組合を設立、どこかの湧水地を利用し、ろ過設備を作って配管し飲料水としている。うちのすぐ近くにはこのような組合の水道管が通っているため、そこに入れてもらい水を使わせてもらおうと思った。さっそく組合長をはじめ近所の方に事情を話し頭を下げてお願いした。この時は皆、OKだよ、と言ってくれたため、安心して建物の設計を進めていった。組合の総会にも出席、20人ほどの方の中に入り、自己紹介の文を作って手渡し、ちょっと、いや、かなりカチンとくる質問にもとにかく組合に入れてもらい、きれいな水を使いたい一心で答えた。ほとんどの人の感触はよかったと思う。ところが・・・・
電話があり組合長のところに行ってみると困った顔で、だめだったと言う。信じられない気持ちで理由を聞いたところ、うちのような商売をする人に自分達の水を使わせて、もし中毒でもおきたら、保健所などの指導で今までおいしく飲んできた水に塩素を入れられたり(塩素殺菌はしていない)水自体が使えなくさせられるのではないか、という意見が出たため使わせてやらない、ということになったとのこと。そんなことはないだろうとすぐに保健所に行き、事情を説明、実際にもし水による中毒が起こったとき、水道組合に塩素殺菌措置の取り付けを行わせるといったことがあるのか聞いた。答えはNO、保健所はそのような法的強制力はまったくないとのことだった。そもそもうちは宿だから個別に塩素殺菌装置を付けねばならないし、皆さんが細菌性の中毒になったとしても、うちだけはならないのだが・・・
井戸を掘る予算が無いうえ、どこでも掘れば出るわけではない・・・土地の売買、建物の詳細設計も終わっている。基礎工事の段取りも進んでいる、だが水が無い・・・焦ったがとにかく水道組合に入れてもらうしかない。めげずにもう一度頼もう。必死だったボクは断られる理由はこのときは思い当たらなかった。保健所の説明を文章にし、担当の方の名刺のコピーを添付、何度も行った組合長の家を再度訪れた。もう一度皆を集めて検討し、それから返事をするとのことだった。組合長をはじめ、多くの方は応援してくれた。だが結果はだめだった。電話の向こうで組合長の困り果てた顔が想像できた。絶望感のなかで「なぜ?何が理由でだめなんですか?」と食い下がるが聞いた答えは
「よそから来た人には使わせない、ということになってしまったんだ、もうあきらめて欲しい」
という、ボクにとっての決定的な最後通告だった。どんなに一生懸命やっても超えられない閉鎖性という地方独特の壁。北海道にきて一番の挫折感と絶望感のなかで最初の頃聞いた役場の人の言葉を思い出した。・・「清里は閉鎖的だから」・・・。
このときの混乱したボクと悔し涙を流す妻はすべてをゼロに戻し清里を離れることを考えた。
頭の中は批判的な言葉があふれ出た。「これだからひどい過疎なんだ、大多数の人が賛成しても声の大きい数人の反対者がいれば結局反対になる、全会一致でなければなにも前に進まない体質、地元といったって北海道は皆のお爺さんかひい爺さんはボクと同じ移住者でよそ者ではなかったのか?こんなに素晴らしい環境なのに子供や孫の代には町が消滅してしまう運命なのか?我が子をいずれなくなる町で育てていいのか・・・・」・・・・・しかしだ・・
こんなことでめげたくはなかった。移住計画は18年前からの悲願。出世も安定もすべて捨ててやって来たんだチキショー!!今までの経験と無い知恵を総動員してなんとしても「心と体を癒す宿」を完成させるのだ。・・・・・自問自答した。
・・・考えてもみろ、どこの馬の骨ともわからん奴を地域のつながりが深い地方の小さな町で簡単に受け入れてくれるわけないじゃないか、新興宗教の人間でサティアンでも作ると思われてもしかたがないよな、そもそも過疎の町ってこういうこともあるから過疎なんだろう、それで人が少ない、その代わりに自然が豊富なところなんだ。ボクが逆の立場になったときに反面教師で気持ちよく受け入れてあげよう。それにほとんどの人は応援してくれて僕の加入に反対しなかったではないか。そう思うと段々気持ちが落ち着いてきた。
次の手は井戸しかない。地主さんに聞き、すぐに井戸掘りのボーリング屋さんを教えてもらい駆け込んだ。掘る深さは?実際に水が出るのか?構造、ポンプの大きさ、種類などの詳細をすぐに打ち合わせた。見積もりは60m掘って総額130万円、自分でユンボ(土を掘る重機)を借りて水道組合の管から引くと、30万ぐらいのつもりだったから100万円もオーバーしてしまった。それに豊富に出た井戸水なのに問題があって、保健所の水質検査で硝酸性窒素の値が少し基準値を超えてしまい営業許可を取るためには60万円もの浄水器をつけざるを得なくなった。これは長年続いた畑への肥料のやりすぎと家畜の糞尿の影響であるとのことだ。でもこの辺にはもっと浅い井戸で生活している人が多いから浄水器など無いその人たちは大丈夫なのだろうか?水質汚染がこんな地方の身近なところに忍び寄っている。国の対応は何も無い。これは早急に何とかしないとまずいですぞ、総理殿。で、結局カローラ一台分余計な予算がかかったことになり、家の内装や設備を思いっきり削らなければならなくなったうえ、夏の繁忙期に間に合わせた営業許可ももらえなかった・・悲しかった。
後日談・・・この井戸水のにごりと砂による詰まりに悪戦苦闘、一日2回ボイラーと水道のフィルター掃除を続けてして2年、後にお隣さんとなるYさんと一緒に再々度のお願いで、ようやく組合の水を使ってもいいという許可が出た・・やっぱり信用されるまでは年月がかかるんだな・・平身低頭、ありがとうございます。
11月初旬、予定地のビート畑の収穫が終わり、さっそく井戸のボーリング屋さんに掘ってもらった。掘削深さは”感”である。ウチは一応60メートル。段取りも含めて一週間ほどで水が出た。ボクは井戸というのは水の流れている層があってそこからボンプであげるなり、自噴するなりすると思っていたが、実は”水を含んだ石や、砂利の層”があってそこに溜まっているのが地下水らしい。水道をひねれば水がでて、ウンチも水に流すとどっかに行っちゃって生ゴミも回収日に出したきりで行方も考えなかった自分にとって、水をどのように調達し、ウンチや排水を自分の家の浄化槽で分解し、生ゴミは庭のコンポストで堆肥に変えるのを体験することは人間の生活の根本の学習になった。こういうことを理解するってとても大事なのになんで都会の学校は実際に見たり、体験させたりしないのだろう・・・・?
地元のボーリング屋さんは北海道人では珍しく腰が低くて、丁寧、親切で細かいことまでなんでも教えてくれた。この人は僕からみるとすごくかっこよく見えた。完全にプレミアのつく35年以上前のダットサントラックで現れ、自家用車も20年以上経つコロナ。服はあちこちのほつれから中綿のとびだしたジャケットを羽織り、防寒帽子は特攻隊がつけていたような耳あてつき、すべてが大切にずっと使ってきた愛着ものだ。ボーリングの機械も同じく。自分の信念と何十年も人々に水を掘り続けた履歴が穏やかに自然とにじみ出ている。ボクはこういう人に出会うと、ここに来て本当に良かったと思う。僕もあと20年ぐらいしたら、あのような素晴らしき北海道人になれるだろうか・・・・
家の基礎工事は馴染みの基礎屋さんに頼んだ。しかし11月も半ばを過ぎていたために氷点下の日も多くなってコンクリートが固まる前に凍ってしまうトラブルが心配だった。もしそうなったら家自体が傾いたり、ずれたりしかねない。ところがそこは北国、うまく考えていてコンクリートに寒冷地用の凝固材を入れたり、シートですべてを囲って中で練炭を焚いて凍らなくしたりしている。うちも練炭でやったらなんとかOKだった。でもやっぱりリスクの面でオススメは10月いっぱい位までに基礎工事をすることだとおもう。ちなみに一年で一番地中温度が高いのが初冬、逆に低いのが初夏らしい。この辺では地下1メートル位まで凍結するのでそのぐらいまで基礎のコンクリートを長く下げるか土を高く盛らねばならない。北国の家のコストが高いのは主にこの基礎工事に使うコンクリートの量なのです。北海道の古い家を見かけたらきっと傾いていると思うけど、それは地中に埋めてあるコンクリートの深さ、長さが足りなかったり、あるいは無いため、その下が凍って融けてを繰り返し段々傾いてくるのだ。それに北海道は湿地が多く、そこに土を入れて造成した宅地は地盤が軟弱だからなおさらだ。
結局、自分たちでやる大工仕事は12月からという一番寒い時期になってしまった。冬の北海道、それもオホーツク。氷点下20度以下になる冬にホントに大工仕事なんてできるのだろうか・・・・・?
話は斜里の借家暮らしで土地捜しの頃に戻るが、妻はパート、長女は保育園、そしてボクは失業保険給付を受け、一歳の次女と2人で専業主夫の生活を送った。朝ごはんを作り妻と長女を行ってらっしゃいと笑顔で送り出し、かたづけ、掃除。午前中は娘と遊んだり土地捜しや雪かき、昼食後、娘が昼寝中に家作りの勉強と設計、4時になったら長女を迎えに行って3人でスーパーに夕食の買い物。毎日お菓子売り場にかじりついている娘らに「もう、行っちゃうぞ」と特価品のネギや野菜を詰め込んで買い物カートを押しながら叱咤する僕は、地元のおばちゃんたちには「妻が男を作って逃げた、取り残された哀れな夫と幼子たち」と映ったに違いない。(ホント、ちょっとみすぼらしくて見た感じそのものだよ)
疲れて帰ってくる妻に温かい夕食を出し、子供達を風呂に入れ、寝かしつけた後に夜中まで家の設計・・・ちょうど真冬、ナナメのおうちの壁や床の隙間から入ってくる氷点下20度の風を強力な石油ストーブでしのぎながら進めていった。(頭寒足熱ではなく、頭熱足寒、頭上35℃足元氷点下10℃) 2ヶ月もするといい加減、夕食のメニューも生活もパターン化してきてつまらなくなり、主婦の苦悩が理解できたが、ボクの目指す宿のオヤジは主婦業みたいなもの、つまらないなどとは考えてはいけない、と自分を納得させたのだった。
そして春、建物の詳細設計と管理を頼んだ建築士さんの計らいで大工さんの手伝いのバイトに付くことができた。親方はとても親切丁寧で何でも教えてくれ、慣れてくるに従い大工仕事もやらせてくれた。道具も一つずつ買っていき、丸鋸(電動のこぎり)、インパクト(電動ドライバー)、ドリル、電動カンナ、もちろんゲンノウ(トンカチ)やカッター、巻尺など、腰袋に下げ、身に付けるものもそろってきて、日焼けし、服もそれらしく汚れてきて、見た目で「大工さん」と呼ばれることもあり、なんか照れくさく、恐れおおく、でも嬉しかった。途中、設備屋の親方について仕事もし、その親方にも色々教えてもらった。とにかく家作りのことを少しでも覚えたかったのでちょっとでもわからないことは建築現場で建具屋さん、基礎屋さん、電気屋さん、設備屋さん、板金屋さん(屋根)、塗装屋さん、左官屋さん、そして建築士さんに聞いた。壁紙を貼るクロス屋さんには「そんなにジロジロ見て、仕事盗むなよ」なんて言われたっけ。こちらの職人さんは一般的なイメージとは違い、親切で愛想もよく、かなりお世話になった。この経験のおかげで自分で作る「無謀な・?」自信がついたと思う。