大工仕事を年末から始めた。
建築工法はツーバイフォーという,北米で開発された、気密性が良く、寒い地方に適した建て方で、釘を使って木材を留めていく素人でもやりやすい工法にした。建てていく順序は一階の床張り→一階の柱と壁作り→二階の床張り→二階の柱と壁作り→屋根作り、と下から順番に作っていく。うちの場合、寒さと雪対策のため、鉄の足場と木材で骨を作り、それをブルーシートで覆って、高さ2メートルほどの、家がすっぽり入る大きさの仮設空間を作った。外がひどく寒くても、雪が降っても、この中は快適で、まるでサーカス小屋のような形のビニールハウスだった。そして正月開けのある日・・・
低気圧が来ていた。冬の低気圧は暖かい強風とベタ雪をもたらした。段々風は強くなりハウスの中は骨組み全体が揺れ、シートはひどくバタついた。やばいな?と思った瞬間・・・総重量数トンはある骨組みとシート全体が熱気球のように風をはらみふわりと浮いた。ボクともう一人の大工さんは一目散に外に飛び出た、と同時にすべてが宙に飛んだ・・・スローモーションのようなビニールハウス全体の飛翔、立っていられないほどの強風と季節外れの激しい雨、バラバラになった途中まで組み立てた壁、そして落ちてきたハウスがあたり、後ろ半分が半壊したボクの軽自動車、空爆の後のようなその様はひどく現実離れしていて、悲惨さを感じる前に命拾いしたことの安堵感をまず感じた。吹っ飛んだシートやら足場、木材は横の道をふさぎ、激しくばたつき、電線にかかり、2次災害の恐れもあった。すぐに応援を呼び、急いでシートを切り裂き、はずせるところははずして、急をしのいだがこれが住宅地で周りに人でもいたら、ボクは業務上過失致死で送検されていただろう、被疑者死亡かもしれないが・・・
冬に日本列島をはさむように北上してくる2つの低気圧が普段とても穏やかなオホーツク海側を大荒れにさせることをこのとき思い知ったのであった。
真冬の北海道、それも特に寒いイメージのオホーツクで家など建てられるのか、生命の危険を感じるほどの低温、寒さや凍傷が心配で大工仕事ができるか不安だった。大工さんや建築士さんに聞くと「いやぁ~大丈夫だぁ~」という。実際、北海道人の「大丈夫だぁ~!」ほど信用ならないものはないのだが、やり始めると意外に大丈夫であった。うちはちょうど流氷の来る一番寒い1月から外回りの壁を作り建ちあげた(ツーバイフォー工法は柱付きの壁を寝かして作ってから立ち上げる)ので、「なにも好き好んで一番寒いときに一番寒い場所やらなくても・・」と言われたが計画が押してこうなってしまったのだ。また建築士さんがいうには雨よりは雪のほうが木材が湿らなくてよいと言っており、たしかに真夏の暑さよりは仕事がはかどった・・ような気がする、だけだろう。毎日の仕事は除雪からだったし・・。オホーツク海側は冷え込む日は決まって晴天なので氷点下20度でも日なたでは十分に動ける。ただし耳はちぎれそうだが・・・・。感心したのは太陽の暖かさ。大体一番寒い時季の最高気温が氷点下7度ぐらいなのだが車や材木、足場などについた氷雪は日なた側は融けて流れ落ちている。しかし午後3時ごろには冷えてきてカチカチに凍り足場などはつるつる、滑ったらあの世へまっさかさまである。この陽射しのありがたさから太陽のことを地元の人は「太陽さん」と敬語で呼ぶ。ボクも太陽の暖かさは敬うべきもの、生命の源だと体で感じた。ホントあったかいわ!「太陽さん!」
また困ったこともいくつもあった。まず工具。特に釘打ち機のコンプレッサーの圧があがらなくなり釘が刺さらない。融けた水が電気のこぎりなどにつくと凍って動かなくなる。材料の凍りつき、(こちらでは「シバレル」という)それの掻き落としの面倒さ、ペンキの粘性が上がりうまくのびない、乾かない。吹きつけウレタンが発泡しない。木工ボンドが凍り、おしゃかになる、床合板をくっつけるときの接着剤やコーキング剤が硬くなって搾り出すのが大変・・・これら建築用の工具や接着剤などは当然こんな寒さは想定していないからしかたない。あとは軍手が汗や融けた氷雪で湿っていると鉄の足場に触った瞬間くっついてしまう、素手なら一発で凍傷だ。これら凍ってしまった機械は車に運んでエンジンをかけ、暖房で暖めながら使ったりした。でも服装は本州の人の真冬の格好に厚手の上着上下を足したぐらいだ。手は軍手一枚で大丈夫だし、意外に冬はすごしやすかった。しかし我慢ができないのは氷点下2~3度でも風のある日と日陰で体を動かさずにやる細かい作業の時。こういった日は「さみぃー」と泣き言と鼻水をたらしつつ、終わったら温泉へ直行であった。
最初の会社の同僚である林崎氏が2ヶ月間、泊まりこみで家具を作ってくれた。このときは流氷の来ていた2月、一番シバレル(寒い)ときだ。木工科を出ている彼は余った廃材を利用してテーブル、イス、ベッドなどを作ってくれた。彼の作業場は2階の居間。そのときはまだ建物が壁と屋根がついているだけといった感じで隙間だらけ、断熱材もなくて、風のない屋外といったところでの寒さとの戦いだったらしい。こちらは大工仕事で体中を動かしているのでそれほどでもないが座り仕事の彼にはたまらない。小さい石油ストーブと、か弱い電気温風ヒーターを抱くようにして毎日カンナをかけ、ほぞ穴を開けたりと職人芸を見せていた。
我慢強いのか意地からかじっと耐えているのだか、夕方僕らの大工仕事が終わると「・・・もうだめ・・・」と紅潮した顔でにやけ、じたばたしている。すぐに近くの温泉に飛び込むのだか、体が暖まっても足先が暖まらなかったらしい。軽い凍傷だ。医者にも行かなかったが結局数日後に治ったようだ。でももうちょっとで体の不自由な人になっていたかと思うと、あまりにも身近なところに危険があるのだと感じたのだった。家がほぼ完成した今は外がいくら寒くても中は別世界だが、断熱のできていない半完成の家の中では北海道の冬は暮らせないことが実感できた。
現在、風景画の居間では彼が寒さとの戦いの中で製作した実用的なテーブル、イスが皆のくつろぎの中にある。柿渋などの天然素材塗料に染められたこれらの家具はこれからますます味を出していくに違いない。
流氷が来ると海が閉じ、冷気がたまり冷え込む。一番寒いときでマイナス27℃だったが天気が良い上、日中は10℃(もちろんマイナス)位になるのでそれほどきつくない。逆に真夏の炎天下の方が疲れはたまるようだ。
その冬も3月になると急に終わる。積雪がみるみる少なくなっていき、陽射しが強く長くなる。最低気温も-20℃から0℃ぐらいに一気に上がるから季節の移ろいは劇的だ。皆の交わす言葉も「融けたねー」とか「暑いわ」となる。家も外の壁まで出来た。遠くから見た感じは完成した家だ。子供の保育所が始まる4月の上旬には引っ越したい。とりあえず自分達の住む最低限の居間、トイレ、風呂、台所そして暖房設備などを作って引っ越した。引越し業者などを頼む余裕などないのでトラックを借りて自分でやろうとしていると妻の勤務先である土建屋さんのみんながトレーラー、トラックなどで応援に来てくれた。地域に入り込んでいると皆がすごく助けてくれる。うれしくなる。都会では土建屋というとちょっと怖いイメージがあるがこちらでは真面目で、穏やかな人がほとんどだ。
引越しはあっという間に終わったが肝心の家がひどく未完成だった。やっかいなのは断熱材に使うグラスウール、このガラス繊維が宙に舞い、吸い込んではむせて、肌に付いては首や袖口がチクチクする。おまけに発がん性もあるというが他の建材よりとても安いのでつい使ってしまう。娘らは「わぁーふわふわ!」などと喜んでほお擦りなんかしている。知らんぞーあとで痛いって泣いても。
そして、この地方特有の春の斜里岳下ろし、強風だ。ツーバイフォーという工法は外に張るベニヤ板と柱をはさんで内側に張る石膏ボードで強度を出している。その内側の石膏ボードを張る前に強風が何日も吹いたものだからすこし建物がゆがんでしまった。もちろん人の感覚ではまったく気がつかないけど。ボクは建材は時代に対してかなり遅れていると思う。グラスウールしかり、それと石膏ボード、この建材、とにかく重い。大きい奴で91cm×273cm、20キロ以上はあるのではないか。それを壁、天井に持ち上げては釘やネジで留め、真っ白い石膏まみれになりながら鼻毛を灰色にしてカッターなどで壁に合う形に加工して張る。こんな建材が何十年も使われている。素人にはつらくても大工さんが平気な顔してやってしまうから進歩しないのかな?3週間ぐらいかかったこの石膏ボード張りは筋肉の発達と重度の疲労を体に残して終わったのだった。
(実はまだ張っていないところがあるんです、来られたらお見せします)