田舎への移住は嫌な思いをすることも確かにある。もしすでに移住された方には「ああやっぱり同じ思いはどこでもするんだな」と思いを共有してもらい、これから移住を考えている人は「やっぱり田舎ではどこでもあるんだな」と気持ちに「備えあれば憂いなし」でいてもらえれば、と思う。
さて、移住者に対して、来ることに直接NO、あるいは何かやることに対してNOという人間は日本全国の田舎のどこにでもいる。特に周りに移住者のいない部落(こちらでは”部落”とは差別用語ではない日常の言葉)では最初の移住者はたいていこのNO人間に傷つけられるのだ。そしてこのNO人間は30人の中に2人の割合で存在している。約分して15人に1人、ではない、2人なのだ。ウチの宿には北海道だけでなくあちこちの田舎へ移住した方が来られるのだが話を聞くとやっぱり30人に2人!これは一人だと周りから偏屈な人、あるいは変人と思われるからなのだろうか、あるいは1人より2人のほうが心強いからなのかもしれない。(ホントは「この町ではあの人とあの人は注意!」というイエローリストでも作りたいところなんだけど自分がイエローになるかもしれないからやめておこう・・)
この2人というのも人物像に同じ傾向があって
1.地元生まれ、地元育ち、あまり外で働いたことがなく家業を継いでいる
2.オレは周りの人間とはちょっと違うのだと思っている、ちょっと頭に自信がある系。
3.お年寄りではなく、比較的若い30代~50代ぐらい
4.口が悪い。物事を悪くとらえ、表現するのが得意
この傾向も他の移住者の方と話をすると「まさにそうだ!」と話が合うから面白い。(面白くないか・・)
これはよくよく考えると30分の2の彼らは人と違う理屈をこねて議論するのが好きで、それが自己主張、自己顕示なのだ。それに地元に代々根付いてその土地を守っているという意識があるから、自分の周りに理解と想像が出来ない宇宙人が来ることに不安なのであろう。それに妬みもある。こちらの人の口癖に、「たいそうっ~儲かっているんでないかぁい!?」「都会の人はお金があっていいねぇ~」とよく言うことからもわかるとおもう。でも気づいてほしい。近所迷惑が多く、治安の悪さにおびえ、満員電車に揺られ、外見を気にし、上司と部下に挟まれ胃を痛め、飲み水はスーパーで買い、リストラにおびえる毎日を・・。そのストレスが収入に、つまり動物として人間らしく生きることを削った分を金銭に換えているということを。
田舎にはそんなこと言ったら普通刺されるぞ、っていうぐらいの非常識な言葉を吐く人がいる。逆に言うとそういう人でも暮らしていけるのが田舎なのだ。でもこれは悪いことだけじゃないんじゃないかな。最初の頃言われたこと・・「お前はエイリアンだ」(・・お前こそだろ)「お前が来たからウチの町はめちゃくちゃだ」(・・オレは悪いことは何もしていないよ)「あんたが来たって俺には何の得もない」(・・お前がいなくなったほうがいい町になるんじゃないの?)最初は( )内のように思っても何を言われても言い返さず耐えていた。逆にこの場で全部吐き出させちゃえば相手は楽になるんじゃないかと、「そうですか、そうだったんですか・・」と神妙に聞いていた。よく我慢したものだ。自分のガス抜きとして、もし移住当初こういう場面に会ったら30分の28の人たちに聞いてもらおう。この人たちは最初からウエルカムだし、「あいつはそういう奴だからほっとけ」と助言してくれるはず。でもボクはもう黙っていないぞ。って、もう何年も経つと多少は理解してくれるし、ホントは30分の2の人も悪い人じゃないってことがわかってくるから、暴言を吐いてくる人もいないけど。まずライフスタイルも考え方も違った人間がやってきて打ち解けるには2年ぐらいかかるかもしれない。
しかし移住者にも問題のある奴もいる(ボクか・・?)その割合は30分の2じゃなくて3分の1ぐらいだったりするからやっぱり地元としては警戒するのがよくわかります・・30分の2のボクより。
どういう行動をとったらいいか迷ったときには直感で決めることがいいと思うのだか、最近はさらに「なんでだろう?」と思ったら「動物だったらどうするか?」という考えで判断するようにしている。
以前からなんで都会は自分にとってこんなにストレスが溜まるのだろう?何もしなくたって電車や車の音は耳から、ネオンの眩しさは目から、ドブの臭いや人間の臭いは鼻から入ってくる。欲しくもない情報が勝手に次から次へと五感に入ってくる。気持ちの中では見ざる聞かざる嗅がざるになっているのになんでこんなに疲れるんだろうっていつも考えていた。遠出できる週末まであと何日だろうって毎日思っていた。で、あるときに感じたのだが、ボクにとっての都会って人が過密に集まりすぎているんじゃないかな?・・もしこの状態が野生動物だったらどうなんだろう?肉食獣にしても草食獣にしても、生きていくための根幹、つまり食べていくためには必要量のエサを確保できる広さの縄張りが必要だ。たとえ一部に密集していても回りにはその密度を受け入れる大海原のような広い餌場があったり広大な大地があれば大丈夫だが過度の密集はエサがなくなる。これと同じように本来人間にもある程度の縄張り、スペースが必要なんじゃないかと感じてきたのだ。人間社会は細分化されていてストレスが溜まったらジムへ行く、とか休日に遊びに行くとかでガス抜きはできるけどボクのように野良人間のストレス便秘の者はなかなかお通じがないようだ。
ここは10キロ先の波の音が聞こえる。風がなかったり流氷が来ると全くの無音だ。夜は暗いし、冬の太陽は暖かい。人間の感覚を超えて早く動くのはたま~に通るかっ飛ばし屋のおばさんの車ぐらい。
広大な北海道へ移住し、自営業をやってみてストレスはホント無くなった。胃炎、十二指腸潰瘍、大腸炎も治った。周りの人たちも満員電車に揺られて通勤する人にくらべてストレスが少ないのは表情を見ればわかる。メタボは多いけど胃が痛いって言う人が少ないもの。
そのようなストレスを感じることもなく、または自分のストレスに気がついていない人はある意味進化した人間なのかもしれない。とするとボクはやはり進化していないのかな。