最初、大雪山の近く上川町に来たときから感じていたのだが小さな田舎では初対面、年の上下に関係なく敬語を使わずに話す人が多い。さすがにいきなり名前の呼び捨てはないが、会社や役場の組織内で上下関係がある場合でさえ敬語を使わないことが多い。体育会系のボクとしては、初対面の若造に「なんでこんななんもないとこ来たんさ?」とか、釣りをしていて「なんか釣れたかい?」とこられるとムッとしてしまう。それなのに「ここほどいいところはなかったんですよ」、「今日はよくないですねー」なんて丁寧に返事をしてしまう自分が情けない。最初のうちはいちいち「怒!」だったがあまりにもそういう言葉のやりとりが多いので慣れてしまった。でもなんで敬語がないんだろう?・・・たぶんこの町のような小さな社会では必要がないのであろう。周りが皆昔から知っている人ばかりの自分が生まれ育った地元。このような言葉使いで都会の組織にでも入れば注意も受けるだろうが、地方の人間が地元で生活する分には問題ないのである。皆が皆そうなのだから。そういえば英語にも日本人的敬語はあまりなかったよなぁ~。でも言葉の使い方、言い回しが複雑な日本語の文化はボクはけっこう良いことだと思うのだが・・敬語の使用頻度の低いことは地域内のつながりが深い社会では良いこと、フレンドリーなことなのだろう。そう思い良いほうに解釈して自分も「郷に入らば・・」で敬語を減らそうと努力しているのだが、どーも身についたしゃべり方は直らなくて、いつまでもよそ者のようなのであった。その上、都会に出かけたときは逆に横柄な口調になってしまい、ハッとすることもしばしば。これではいけません。今まで出会った、人間的に尊敬でき、すごいなぁーと思った人は皆、物腰が柔らかく言葉使いもしっかりしていたのでそうなりたいと思うのだが・・・言葉の使い分けは難しいですね。
自然が好きでこの北の大地にやってきた人間にとって休日は限りなく楽しい。釣りや山の好きなボクはいつもどこに行こうか考えている。あそこも行きたい、こっちも久しぶりに・・今日は海でうまい魚を釣るか、川や湖で鮭や鱒たちとゲームフィッシングを楽しむか。カヌーで人のあまり行かないところに行ってみようか・・たまには知床にハイキングにでも行くか。午後ちょっと摩周湖でものぞいて見るか、あの温泉まだ行っていないな・・阿寒、知床、釧路の国立公園、他穴場多数の東北海道は何年かかっても遊びきれない。そしていつでも行けるという気持ちからか余裕がある。楽しみは出かけるだけではない。お隣さんといっても離れているから朝から大工仕事やデカイ音での音楽も楽しめる。夜中に飲んで馬鹿騒ぎしても迷惑をかけるのはキツネぐらい。木工も楽しい。降り注ぐ太陽の下、おがくずだらけになって木のにおいを嗅ぎながらイスやテーブルなどを作っていくのは素敵な時間だ。ホームセンターのチラシはいつも工具などが多い。それだけ皆、自分でなんでもやるのだ。晴遊雨読、たまに都会に出たくなったら車で1~2時間行けば北見や釧路がありデパートでもマクドナルドでもユニクロでも何でもある。でもウチにおける一番の贅沢な休日は斜里岳や知床半島を見ながら昼間から酔っ払って、居間でウトウトすることかな。
う~ん 幸せだ。