北海道はたまにとんでもない天気になる。突風が吹き荒れ屋根がぶっ飛んだり、台風による連日の豪雨ですべてが流されたりする。地味な異変は6月末に雪が降ったりずっと寒くて夏が無かったり5月に30℃を超えたり、流氷が4月末まであって冷え込みが続いたりすることだ。そして1月の暴風雪のときは凄かった。100年に一度といわれるほどであって地元のじいちゃんたちも初めてだと口をそろえた。
オホーツク海側は一年中天候は安定していることが多いのだがこのときは台風並に発達した低気圧が3日間停滞した。見る見るうちに降り積もり、吹き溜まる雪を前に、まず除雪車が来なくなった。視界が効かず危ない、あるいは今やっても無駄との判断だろう。次に停電。幸いこのあたりは5分ぐらいで復旧したので大事に至らなかったが何時間もかかったところは暖房が止まったからちょっと生死にかかわりそうなぐらい心配だったであろう。ウチは給湯と暖房に使う灯油と食料の残量が少なくなってきたことに少し不安だったが、このときほど薪ストーブのありがたさを感じたことはなかった。それに幸いお客さんが少ない時期だったのでよかったが・・
天気予報をみて生活物資をそろえておくなんてことはこの時代で考えていなかった。油断した・・。陸の孤島、まさにそんな状況だったがウチのような郊外だけではなく市街地でも除雪車が入らず車はおろか歩くことさえできなくなり出勤不可、店舗は閉鎖、住宅一つ一つが孤島状態であった。住宅のまわりの積雪状態に関してはウチのような畑の中の一軒屋はまだよかったと思う。吹きっさらしのため雪は風下、南側に多く溜まり玄関前に1.5メートルほど積もり、1階南側の窓が少し埋まったほどだが、住宅地は家と家の間に雪が詰まり捨てる場所もなく、玄関、窓も開かなくなったようだ。自分のうちの軽トラで橋の上から川に雪を投げている人もいたっけ(これは違反)。でもウチもヘルパーBちゃんの車は埋没し、駐車スペースは唖然とするぐらいの積雪だった。雪が止んだ日、いつ終わるのか見当もつかない雪を前にスコップとママさんダンプ(除雪用の手押しソリ)を手に除雪を始めたがいつも好意だけで重機(大型タイヤショベル)で除雪をしてくれる近所(といっても1キロ以上ある)のSさんが颯爽と来て一気に雪を押しのけてくれた。いつにもましてこのときは感謝の気持ちでいっぱいだった。ほんとうにありがとうございます。
早くお金を貯めて除雪機を買わねばと今回は思った。次に住宅のレイアウトを考えるときは屋外の生活導線にいかに雪が吹き溜まらないようにするかを考えなくては。
時々深く感じることは「北海道人の自然の脅威に対する冷静さ」。簡単にいうと「あきらめる、悪あがきしない」ことだ。もちろんこんな大雪はだれもが初体験なのだが、除雪が進まないことに対して文句を言う人も少ない。汽車が不通で車内に閉じ込められても「しょうがないねぇ」ですませる。土木工事などに関しては未だに河川の直線化、コンクリート護岸や不要な堰堤、砂防ダムなどにより自然は不要なもの、征服できるもの、金にならないものともとれる傲慢さが一部の人間にみえることもあるが、天候に関しては謙虚である。ボクも都会に住んでいて、もし3日間も家に閉じ込められることになったらきっとだれかのせいにしていたと思う。どうにもならない、どうしようもないことであると判断しそれを受け入れる謙虚さ。これが自然と身につく北海道の田舎はやはりストレスの少ない、自然体の社会といえるだろう。
暴風雪が始まった日の夕方だったらしい。
移住記2で紹介した尊敬する北海道人が吹雪の中、車にはねられ逝ってしまった。
最近、移住に際しお世話になった人たちが少しずつ旅立っていく。歳を重ねるということはそれだけまわりの人たちの死をみていくこと。受け入れ、感謝していくこと。そして順調にいっても人生の折り返し地点をすぎたボクにとっても他人事ではなくなってきていることを意識させられる。「北の国から 遺言」のなかで「残してやれるものは何も無いが伝えるべきものは伝えられたような気がする」というシーンがあったが、番組の論評は抜きにしてこの言葉は心に残った。開高健さんの「悠々として急げ」ということば、星野道夫さんの写真と文から伝わってくる感性、など伝えてもらった生き方は数多い。素晴らしき北海道人からも色々教えてもらったが一番は生き方を見せてもらったことだと思う。
感謝しています。本当にありがとう。