飲食を伴う宿業には保健所の発行する営業許可証が必要なわけで網走にある保健所に建物の設計前から何度も通い、アドバイスを受けてきた。営業を始めようとするすべての人が思うことだがこの許可をパスする法律は正直納得いかないことも多い。例えば受付カウンター。どんな小さな宿屋でも決められた大きさの受付台、つまりフロントをつけねばならない。出来れば玄関のところに窓越しにお客さんの顔が見えるように、である。ラブホテルじゃないんだから十数人定員の宿屋でそんなもの作ってどうすんの?というやつ。皆さんも宿屋でそんなカウンターを見つけたらきっとそこは物置になっているところが多いはずです。それからトイレと洗面所の蛇口の数。5人の定員に対し、ひとつ以上、となっているが小便器大便器の規定はない。小便器3個つけてもいいのかな?・・・洗面所の蛇口も3つつけたけど一度もないです、3箇所全部一度にお客さんが使っていたこと。他にも実情に合わないこと多数。つまり法律が古すぎるのである。これは政治家と法律家の怠慢だとおもいますよ。保健所の担当の方も何度も話すうちにそのことは良くわかっているようであったが・・・時代にあった法律に更新していってくださいね。他に消防署の防火上の許可(消火器や非常灯等の位置、室内の仕上げの材質が不燃材を使っているか、とか)などを得てやっと営業許可がおりるわけだが、問題なく許可を得ようとおもったら早いうちに何度も保健所や消防署に通うことがいちばんだと思う。うちは検査に来てもらって一度でパスしたが、そのときは夏の終わりの8月31日。本格的営業は来年からということになってしまったが、許可証が家に届いたときはいままでのさまざまな出来事を思い出し、感激して目頭に熱いものがこみあげてきた。30代後半になってこの達成感は幸せである。 ボクたちは居間から目の前の斜里岳を肴に祝杯をあげた。
移住しようとする人にとって、収入は一番の心配事だとおもう。何の資格、技術がなくても若くて独身、健康なら生活費もあまりかからないし、季節のバイト、つまり建設、土木作業員、農作業の手伝い、農産、水産加工場、など何かしらはある。仕事はつらいが日当も良くて1万円ぐらいもらえる。ボクも宿を開業した今でも生活のためにこれらの仕事はしていかねばならない。ただこれらの拾い仕事は副業でやるにはいいが、これらだけを何年もやっていると精神的に卒業したくなるのが普通である。人間とは欲深いもので北海道に住めればそれでいい、と思ってもいざ何年もやってみると一日の大半をしめる仕事の時間、やはりやりがいを求めたくなるとおもう。それに家族を持つとどうしてもそれなりの収入が必要になる。北海道で農業や漁業、酪農、宿をやりたい、アウトドアのガイドをやりたい、パン屋や飲食店をやりたい、自給自足の生活をしたい、自分の持つ技術や資格を生かしたい、定年後の終の棲家を作りたい・・といった目的がはっきりした人は、成功、失敗を別として、充実した時を過ごせるし後悔はしないはず、それだけの包容力は北海道にはある。移住を考えるときに一番必要なのはそういった自分の目的を時間をかけて考え、探すことだ。でもとにかく北海道に住みたい、そのために職を探したい、という人。いろいろな方法があるけどもし何らかの方法で公務員になれるならそれが一番のおすすめ。都会で役所勤め、なんていうと、「お役人様、税金泥棒、怠け者、退職金だけが楽しみな人間の集まり」などというレッテルを貼られ、白い目で見られることがあったり、あまり人に言いたくない職業だったして一歩下がってものを言う方も多いが、人が少なく、地方交付税で成り立っていて、会社員の給与が異様に低い田舎ではまったく違う!!役場、支庁、道庁の人は偉いのである。態度もでかいし、住んでいる家もでかい、車は新車で子供らは習い事である。(でも僕の回りの方、清里町の方は謙虚で皆いい人ばかりです・・ハイ)あなたも田舎の公務員になって胸をはって歩こう!!(ちょっといやみ) あとは公務員に準ずるというか農協や漁協の職員、つまり地方の主産業を取りまとめるところの職場もいいとおもう。他には教育現場、看護、介護、医療関係など、人がいる限り必要な職業がいい。ここで仕事の捜し方だが職安にはホントまともな職は少ない。求人は実際はもっとあるが職安には出さない会社や職場が多いのだ。もっともいいのはとにかく拾い仕事でもしながら住みたい土地に住んでみて、地元の人と交流を持ち、回りの人から求人情報を得ること、あるいは直接働きたい職場に連絡をとってみることだ。やる気と実力のある人材は都会でも田舎でも欲しいのである。家族もいるし地元に住んでみるのは難しい、という方は何日でもいい、泊りがけで来て町の有力者たちと知り合いになったり、求人情報を聞いて回ったり、町のイベントに参加したり、スーパーに行ってみたりして、土地と地域の本当の姿を見ることが必要だとおもう。例外もいるが北海道の田舎の人は世話好きである、人間味がある、表裏がない、ストレスのたまっている人が少ない、ボクはそんなところが好きだ。
移住希望者に対して地元の多くの人は「よほどの覚悟でこないとすぐに逃げ帰ることになる」というがボクは違う。そんなに北海道の敷居を高くしたくない。そんなこと言っているから人が減る一方なのだ。とりあえず来てみる、でもいいと思う。だめなら都会に帰ればいい。世話をやく人もそういうこともあると思っていればいい。多くの人が来てその中の何人かが定住する、10打数一安打ぐらいでもいいと思うのだ。
北海道移住に対してボクは思う。人間も動物。ある程度自分の面積、テリトリーがないと精神的に異常をきたすのではないか?田舎は人が少なくて寂しい、という人がアパートの隣人を知らない、息がつまるほど人が多いのに人間関係がとても希薄なのは不自然ではないのか。ボクは感じる。東京や大阪の真ん中で周りの恐ろしく不自然な人工物と人間の密集を見て将来的な悪い予感と不安を。ボクの場合は具体的な目的とこれらの不安があったことも移住への力となった。それにも増して北海道全体の自然と広大さ、近くは知床と阿寒の両国立公園の奥深さ、斜里岳の凛々しさ、オホーツク海の豊かさはほんとに素晴らしい。心が洗われる、癒される。責任はとらないけどおすすめします。
何年も勤め、同僚、上司、部下などと別れ、独立するにせよ、再就職するにせよ、放浪の旅に出るにせよ(自分の場合)、まったく違ったことをするには大きな不安が付きまとう。ボクは2つの企業に5年間ずつ勤務をしたが、両方ともすごくつらいとか仕事内容がたまらなく嫌だ、といったことが少ししかなかったうえ、次の職業が決まっていたわけではないので、辞職はまさに「清水の舞台から飛び降りる」気持ちだった。特に最初の辞職のときは、それまではほとんど大した苦労も失敗もない人生であったため、このとき初めて引かれたレールから自分の意思、考えで脱線したのだとおもう。
話は前後して学生時代、二十歳のとき。
初めての放浪一人旅、一週間でも長旅といわれた時代に当時一世風靡したバイク、HONDA VT250Fに乗り北を目指した。実家のさいたまから青森まで走り、シケの津軽海峡をフェリーに乗り、北海道に上陸。車やトラックの平均90キロ近いスピードに驚き、東に進むにつれ徐々に小さくなっていく町並。それに反比例して風景は広大に、稲作地帯から畑作、酪農へ、道路は終わりが見えないほどの直線になっていった。若いボクには毎日が新鮮、感動の連続、当日にその日の宿を決めるという旅のスタイルにも慣れてきて、夢の中にいるようなふわふわした気持ちで東北海道を走っていた。中標津周辺の大酪農地帯を走っているとき、ヘルメットの中で、当時のボクとっては大胆なことを決めた。
「いつか・・いつの日かこの北海道に住もう!」