ここからは移住を決行するまでの心情を書いてみようと思う。
ごく平均的な家庭に生まれ育ったボクはたいした苦労もせず、外の世界を見ることも深く考えることもなく機械関係の会社に入社、仕事内容はOA機器の設計だった。色々教えてくれた先輩方々、すみません。今だから言うけど、入社数日ですでに「ボクにとってずっと情熱を注げられる仕事ではないな」と悟ってしまった。設計を担当する製品が自分にとって適性に合っていなかったのであろう。プロジェクトXのごとく燃えるもの、ではなかったのだ。仕事というものに対して贅沢だという言い方もあるがひとつの職業を将来ずっとやっていくのだと当時考えていたボクは自分に妥協したくなかった。それでも転職が出来る程度には実力をつけておこうとやってきたが自分と回りに嘘をついて一生懸命やっている”ふり”をするのが年々つらくなってきた。ある程度仕事を覚えてからの一時期は設計という創造性のある仕事にやりがいを感じた時期もあったが・・・この仕事をした5年という時間はちょうど良かったと思う。ストレスもたまり、上司ともやりあい、十二指腸潰瘍にもなり、腰痛になやみ、そしてこのストレスが遊びたいというパワーに変換され、毎週末と長期休暇はスキーと釣りとバイクツーリングに狂ったようにのめりこんでいった。
元来の釣狂であったボクと仲間数人たちはある日、フライフィッシングと出会い、いっせいにのめり込んだ。そしてある釣雑誌の連載のなかにニュージーランドの特集があり、ボクはいつもくぎ付けになった。そこには北海道とおなじような広大な酪農地帯の風景があり、巨大なマスの待つ釣師のパラダイスという記事だった。
会社を辞めてすぐ、ボクはニュージーランド(以下NZ)へ旅立った。英語はまったくダメ、海外旅行も初めてで、小さな辞書をひとつと、釣道具、キャンプ用品、バイクのヘルメットと、ほとんどの荷物が北海道ツーリングのときと同じだ。凡人のボクにとって「会社を辞めて海外に行く、あてのない放浪の旅」なんて本の中ののんきな話、実際は何もわからぬ不安だらけ。「エイヤー、とにかく行こう、もしだめならすぐに適当な理由をつけて帰ってこよう」というのが情けない本音だった。でも思えば北海道を旅するようになって次にNZに行き、段々と「とんでもないこと以外は何でもやってみればなんとかなる」という自信みたいなものがついてきたようだ。
思ったより寒かったNZ。バイクにまたがり、釣りや山歩きをし、キャンプ場で寝る旅は「北海道で何をするか?」を考える旅でもあった。このとき27歳。
初の海外は異文化と自然、人々の考え方に驚きと感心の毎日であった。毎日毎日、釣りとキャンプと山歩き。マスの大物も仕留めたし、山も歩きまくった。仕事で溜まっていたストレスがすっかり無くなり、心ゆくまで遊びたいという気持ちが満たされ頭の中がリセットボタンを押したように真っ白になった気がする。体調も完璧だ。このときまで3ヶ月が経っていた。そして同時に山で、川で、湖で、海で自分の現在、過去、未来、自分の出来ること、出来ないこと、やりたいこと、やりたくないことをじっくり考えた。その考えたことを毎日日記に書いた。これが自分探しの旅というやつか。これからの日本人に必要なこと、それは時間、ゆっくり考えるたっぷりの時間だと痛感した。NZに行くまで自分の道すらも真剣に考えてこなかったし、自分がやりたいと思うことがいつかは向こうからやってくる、わかってくるという受身姿勢だった。アルバイト等を通じて多種の仕事があり、世の中の仕組みが多少わかった気でいたが絶対的に見聞が足りなかった。外の世界からみる、ということが足りなかったのだ。これは外国から日本を見るということだけではなしに自分を、出来れば住所不定、無職(犯罪者のようだが)という真っ白な立場において自分と社会を客観的に数ヶ月~数年かけて見るということだ。NZでの一番の収穫、それは「考える時間を充分にもてたこと」に他ならない。
もし仕事が忙しい中で、自分の方向に行き詰まりを感じたら、ゆっくりとした旅に出て時間をかけて考えることをお勧めします。今の仕事を辞めたって死んでしまうようなことはないし幸いにして日本はいい国。不況だ、不景気だと言ったって、飢えて死ぬ人はいないのだから。
”これだ”とパッと考えて即実行できるような性格ではない自分が考えたこと、それは「やりがいと生きがいのある仕事とは何だろう?」「自分と家族に無理がなく、幸せな時をすごし、楽しく充実感のある人生って何?」「そもそも幸せってなんなんだ?」・・・NZでの自問自答の日々。自給自足も一時目指したいと思ったが貨幣経済が続くかぎりお金もある程度は必要だしもちろん欲しい。しかし金持ちを目指して、もしそれがかなったとしても現実的に心まで豊かになれないのではないか?旅に出て外人、日本人、いろんな人をみて、聞いて話しているうちに世間でいう成功した人(金持ちとは別)、幸せそうな人、充実している人は皆
「世の中と人のためになることを何らかの形でやっている」
ということに気がついた・・・一番わかりやすく、直接的な仕事は障害を持つ人たちのケアや福祉、途上国での協力活動や人命救助、地球と自然環境の保護、再生などに係わる仕事であろうか。しかし間接的に世と人のためになることでもいい、自分の今までの経験を生かして、やりたいことはなんだ?経験といえばハンパな設計知識だけど、それよりも会社組織にいたこと、サラリーマンのストレスを少しでも理解できることの方が経験といえるのではないか・・得意なことはなんだ?遊ぶことぐらいしかないな。どれも極めてはいないけれど釣りやスキー、キャンプ、山歩きやカヌー、そして旅することだろうか・・・だんだん見えてきた。
そうだボクにできること・・一般的に健常者といわれる人々でもストレスは皆溜まっている。このような人たちが心のケアに訪れたくなるような場を作ろう、それが自分の経験を生かし、ボクにとって人のためになるやりがいのある仕事だろう。そこで自分も出来るだけストレスがない自然な生活をし、子供も良い環境で育てよう!